悲劇か喜劇か

人間失格太宰治

 

「アナタの幸せは、私たちの考える幸せとは異なっている」

去年、知人に言われた言葉を思い出す。

それを聞いた時に何処か、救われたような気すらした。

 

“自分の幸福の観念と、世のすべての人たちの幸福と観念とが、

まるで食いちがっているような不安、自分はその不安のために夜夜、

輾転し、呻吟し、発狂しかけた事さえあります。

自分は、いったい幸福なのでしょうか。”

 

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読書とは、著者との対峙だ。

文豪と呼ばれたり、天才と呼ばれる作家も皆、

人間だったのだ。

作中の共通点を見つけては「この本の主人公は私だ」

などと傲慢に物事を捉えそうになる。

 

人間失格』。

自分にはネグレクトの過去や、愛するヒトとの心中を

経験した過去などないが、この本に惹かれたのは

どこか自分の過去を当て嵌めていたのかもしれない。

 

絶望に瀕したときに我々日本人は、一体何を信じればいいのだ。

何者かに問う。信頼は罪なりや。

 

 

 

ジョジョ・ラビット』(邦題)Taika David Waititi (監督)

 

 

自分は日本人だ。信じる神もいなければ、戦争も遠い昔の歴史だという

認識しか持ち合わせていない程の平和ボケをしている"Japanese"なのだ。

 

そんな自分が『ジョジョ・ラビット』を観た。

戦争といえば「悲惨だ!絶対に嫌だ!」と今、この時代に生きていてこそ思うが、

戦時中の、しかも現代でもカルト的な人気を誇る指導者がいる国で育っていたら

自分はどんな思考になっていたのだろうか。

 

今まで観てきた数多の戦争作品とは異色とも呼べる表現の仕方で

それでいて、より自然に戦争に対して向き合わせてくれたと思う。

 

悲惨な歴史でもある戦争を”10歳の子ども“視点で描くことによって

ここまで感動的且つ、ロマンスとも呼べる作品にしてしまうとは。

 

観賞後は優しい感情に包まれて、少し泣いた。

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絵なんぞわからん。

 

小説は物語の冒頭と結末に、作者の思いが1番強く書かれていると、ある人は言いました。

 

その冒頭にあたるブログの1ページ目です。

ですが、今は小説を書きたいわけではないのでサクサクと話を進めさせてもらいます。

 

『美しき愚かものたちのタブロー』原田マハ

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初めての小説のレビューということで「どの本にしようかな」と、悩みに悩んだのですが(1分くらい)、やはり私が最も尊敬する作家の小説を選びました。

 

原田マハさんの小説の魅力といえば、"史実に彼女なりの脚色を加えて読み手側が物語に入り込みやすく、史実をよりドラマチックにしてくれるところ"だと私は思います。

今作もその魅力を存分に味わせてもらいました。

 

遠く離れた異国の地の名のある画家達(ファン・ゴッホパブロ・ピカソクロード・モネ等)の作品を何故、私たちが現代の日本で美術館に気軽に見ることができるのか?

過去に実在した"松方幸次郎"とは一体何者なのか?

どうして日本に美術館を建設したいと思ったのか?

そして、その夢を叶えるまでにどんなドラマがあったのか?

 

正直、私はマハさんの小説に出会うまではアートとは無縁の世界を生きていました。

ですがある日、書店でなんとなく彼女の本(楽園のカンヴァス)を手に取り、彼女の文章、物語に触れているうちに一年が経った現在では、美術館での絵画鑑賞や天才画家と言われた偉人達の生涯を追求する楽しさを知ってしまい、こうしてブログを書いています。

 

きっと、このブログを読んでいる、一年前の私と同じように"アートに全く精通していない"貴方も、"それなりに絵画は知ってて、美術館も行ってます"という貴女も、この本を読め胸が熱くなり、「あぁ、美術館行きたいな」と思えてくるはずです。私はなりました。

 

スマートフォンやパソコンさえあれば、わざわざ美術館や図書館に出向かなくても、気軽にアートに触れることのできる時代です。

ですが、その面倒を乗り超え、自分の足で作品のところに行き、向き合うという経験はきっと、素晴らしい体験に繋がると私は信じています。

 

美しき愚かものたちのタブロー

美しき愚かものたちのタブロー